視線恐怖を発症したきっかけから治癒まで
視線恐怖を発症してから30年、ようやく心の混乱が治まりました。発症したきっかけ、悩みの構造、治癒までの体験をまとめました。
視線恐怖発症のきっかけ
きっかけは当時通っていた塾でのささいなこと。授業中にいつも通り黒板を見ていたら、
あ、こっち見てる
と右後ろから聞こえたので「何?」と反射的に振り返ったら、その声の主と目が合いました。
ん?なに?
何言ってるんだろう?と思ってたら、誰かが「やめろよ」とその声の主に話しかけてその場面は終わりました。
その日はそのまま授業を受けて帰宅。特に変わったことはなかったのですが、どこか心の隅に「こっち見てる」という言葉が残りました。
塾の座席は成績順で決められていて、自由に選ぶことはできません。いつも通り授業を受ければ、いつも通り右後ろにその人が・・・
また同じこと言われるのがちょっと嫌だったので「見ないようにしよう」と少し右後ろを意識するようになった、これが心の引っ掛かりとなったのです。
視線恐怖の学生生活
「右後ろを見ないように」と意識すると、右後ろが気になるので困りました。意識しないように意識してるので、すごく矛盾したことをしているのですが気付かないものです。
「気にするなという自分」と「気になっちゃう自分」の戦い、つまりは理想と現実の戦いです。
心の中は常に葛藤していて、これまで何の苦労もなく黒板を見ていたのが噓のように、苦痛で仕方なくなりました。
黒板を見る時は、右後ろを見ていないか視界を確認。少しでも視野に何かが入ると「見ている」と思い込んで自己嫌悪に陥ります。
だから授業中はなるべく黒板を見ないで、下を向いていました。ただ、全く見ないわけにも行かないので、一瞬だけ顔を上げてあとは下を向く。
眼球の向きを常に気にしていたので、目がとても疲れました。とにかく授業が苦痛で苦痛でたまりません。
この異常な思考を、何とかして元の正常な思考に戻したいけど、何がどうすれば気にならなくなるのか分からずに悩みました。
当時はまだインターネットもないし、ChatGPTみたいなAIもありません。
そして授業中だけでなく、街中でも、電車でも、レストランでも気になって、おでかけや美味しい食事を楽しむ事ができませんでした。
すれ違う人みんなに「変な人」と思われているように感じて、ひそひそ話しているのを見かければ「あいつ変だぜ」とか言ってるのだろう?と憂鬱になりました。
親も友だちもそんな自分に違和感を感じたでしょう。自宅にも学校にも居場所がなくなったように感じて悲しかった。
思い切って学校の先生に打ち明けても「???」という感じで話が通じませんでした。こんな変な病気を理解できる人なんていないのでは?
分かり合える人はどこにもいないのかと、とても孤独でした。
ただ、幸いにも一人で机に向かって勉強することは変わらずにできたので大学には進学。一人暮らしでした。
授業中や街中での苦痛は相変わらずでしたが、ストレスは全てジョギングで発散してました。
バイトは友人の紹介で力仕事です。デスクワークは完全に無理だったので、動き続ける仕事にしました。
こんな調子で、何とか折り合いをつけながらサークルやバイト、ゼミと、それなりに学生らしい生活を送ることができました。
就職試験や面接も無事に乗り切って内定もいただけました。苦しみながらも人並みの結果を出せたことで、少しばかり自信も出てきたのです。
就職して悪化、治療を始める
しかしここからが辛かった。デスクワークは苦手なのにIT系に就職するという大間違いをしてしまった。朝から晩までデスクワーク&打ち合わせ。
もうストレスMAXです。
葛藤しながらのデスクワークは、思うように捗りません。仕事が終わらずに残業ばかりで、心の命綱であったジョギングする時間がなくなりました。
「視線を気にしている場合ではない!」「そんなことは分かっている!」とそんな思考ばかりで、自分はちっとも成長していなかった事に気づきます。
どうしたら脱出できるんだこの無限ループ!
「これさえなければ、完璧にこなせるのに!」
毎朝ストレスで吐くようになって身の危険を感じたので、職場の産業医に相談。心療内科を紹介されてカウンセリングを受けることになりました。
産業医さんに変人扱いされなかったことで少し気が楽になり、カウンセリングで治るかも!と、初めて明るい希望を感じました。
しかし、いざカウンセリングを受けてみると、想像とはだいぶ違う。カウンセラーは、「そうだったんだ、そうなんだね」と相槌を打ってくるだけで、具体的なアドバイスは何もない。
「そうなんだ~」と言われても・・・
何でも話せるという安心感はありましたけど、良くなっているという実感が全くない。医療保険も使えないので毎回8000円(1時間)の現金払い。
1年間続けましたが何も変わりません。なんだか時間とお金の無駄に思えてやめました。
一方、処方してもらった薬を飲むと頭がぼーっとします。緊張や不安が伝達されないような感じ。喜びも伝達されない感じで、まるでのっぺらぼうです。
とある方に「若いのに落ち着いていますね」と指摘されたことがありますが、落ち着いているのではなくて反応が鈍くなるのです。
頭が働かないので仕事も行き詰まり、治療も行き詰って、人生行き詰まった感が、、、とにかく心も体も限界だったので、不本意ながら退職しました。
退職後に忙しくしたら治った
すでに結婚して共働き家庭でしたので、家事育児の担当になりました。
退職直後は魂が抜けたかのように何をするにも億劫でしたが、半年ほど静養してパートを開始しました。
フルタイムに比べたら負担が減って楽になるかと思ったら、大間違い!
ギャーギャー泣く乳幼児にこちらの事情が通じるはずもなく、オムツを変えて抱っこして、ミルクを作って着替えさせて、離乳食を作って食べさせて、保育園に送ってと休む暇がない。
パートと子育てでヘトヘトになり、寝かしつけるはずがわたしが寝落ちしてしまう状態。でも意外なことにこれが効果絶大だったのです。
頭を使うデスクワークではなく、手足を使う子育てで目の前のことを必死にやっていたら「右後ろ」を忘れていたのです。
というよりも自分のことを気にする暇がなくて、後になって気にしていない自分に気づいたのです。
なぜ気にならなくなったのか?自分でもしばらくは謎でしたが、ようやくわかって来ました。
視線恐怖の方へのアドバイス
私が悩み始めた原因は、
「気になることを気にしないようにした」
ことです。
つまりは気にする自分を、気にしない自分に変えようとした事です。
そしてそこに意識を向け続けた事が、結果として悩み続ける結果となってしまいました。
気にしないよう意識しないようにして、そこに注意が囚われていたのです。
自分の心に反応しすぎる性格、すぐに修正しなくてはと思い込む性格が災いしました。
街中に行くと人の視線が気になり、人前では緊張し、分からないことがあれば不安になり、デートや電話で会話が途切れれば気まずくなる••• これを病気だと思い込み、治さなければと思い込んだのです。
この二重の思い込みに囚われていた自分。
いつも間にか気にならなくなっていたのは、忙しくしていていつの間にか心のやりくりしなくなっていたからでした。
あれこれ頭や心でやりくりする前に行動する。日々この繰り返しが一番の近道です。
これはそっくりそのまま森田療法でもあったのです。
まとめ
視線恐怖症を発症したきっかけから治癒までの体験談と、悩む方へのアドバイスをご紹介しました。
いろんなことが気になって緊張したり不安を感じたりしても、そのままで大丈夫。そのままのあなたで目の前の時間を大切して、やるべき行動を優先してください。